女性起業家・企業家ビジネスプラットフォームwiz:(ウィズ)が、三重県の起業家・企業家様へ直接取材!起業のきっかけや現在の仕事について、そして三重県での今後の展望についてお伺いします。

今回はその第1回目として、株式会社デルタスタジオ 代表取締役社長 若林辰也様からお話を伺いました。

ほぼ「三重」育ちの私。学生時代の「衝撃の出会い」が今の仕事の原点

私は生まれも育ちも四日市、起業ももちろん四日市です。ほぼ「三重」で育った私ですが、実は大学3年のときに1年休学して海外へ一人旅しています。留学ではなく放浪です笑。当時、ユーラシア大陸を横断した猿岩石とかが注目を集めていて、私も相当影響を受けまして…。オーストラリア、ニュージーランド、アジア方面……結局1年3か月ほど海外に滞在していましたね。

海外に行ったのは、単純に「興味」100%です。死ぬような思いや危険な経験もしながら、多くの影響を受けました。その一方で私は英検2級を持っているものの、英語がほとんど話せなかったんです。それなのに海外へ…、思えばかなりチャレンジャーですよね。

でも現地で過ごすうち、何となくコミュニケーションが取れることがわかってきて。ベトナム人や韓国人、スペイン人などとルームシェアするなか、片言の英語でも何となく通じて「いけるな!」なんて思いながら過ごしていました。

そんななかで衝撃を受けたのが、現地で見た「テレビのコマーシャル」。もともと私はそれほどテレビを見ないし、海外ドラマなどもまったくわからない。ただ、テレビのコマーシャルは「この宣伝は何の宣伝で何を伝えようとしているのか」が何となくわかったんです。

「すごい!広告って面白い!」

これが、私が広告業に関心を持った原点ですね。

私は実家が自営業でしたし、将来的には自分で何かはじめたいな、なんて漠然と考えていました。具体的にやりたい業種があったわけではないけれど、海外で見たテレビコマーシャルの一件から、距離や時間ではなくコミュニケーションで成り立つ「広告」の面白さに興味を持ったんです。

エフエムよっかいち株式会社での楽しい12年間を経て独立。景気が悪いなか「影響を受けた1冊」

海外から戻って復学したのち、エフエムよっかいち株式会社へ就職しました。23~35歳まで12年間、FM局の立ち上げから運営、多くの経験をさせていただいて。その期間にも、地域の企業や働く人とのつながりが広く濃いものになっていきました。

私は当時、仕事が好きすぎて1日12時間近く働いていました。まさに、やりたいことを好きなだけやれる環境でした。ただ、私は30歳か35歳には会社をつくろうと決めていたので、話し合いを続けて35歳で独立したんです。けれど当時は決して景気がいい時期ではなく「大丈夫?」という空気もありました。

結局、2011年9月末に退職して10月2日に創業しましたが、当初は私一人。そのとき、1冊の本「ランチェスター経営」に影響を受けました。簡単にいうと「小が大にどうやって勝つの?」という話です。

例えば景気が悪いとき、小が大と同じ土俵で仕事をするのは非常に難しいですよね。そんなとき、大手では手が回らないところに視点を向けることが大切だと思いました。

それと同時に思ったのが、広告会社であっても「広告会社でしかない」のは弱みになるということ。デルタスタジオはあえて「広告会社でもある」という形にしてどんな人・会社ともひっつくことができるような強みをつくるにしたんです。

会社設立時、運よく現在の環境(トナリエ四日市4階)がありました。まずは持っている強み(立地や空間の広さ、信用性など)を整理し、会社のPR材料にしていくところからスタートしました。

「最初に相談される人・企業」になろうと決意!

起業直後から「能力の高さや実績」を示すことは、現実的に難しいこと。そこで私は「最初に相談される人・企業になろう」と考えました。もし最初に相談されたなら、私から大手企業に仕事を回せばいいわけです。

川で例えるなら、もし大きい魚・欲しい魚を捕りたいのであれば、より川上に立っている必要があります。川下だと、狙っていた魚を他の人(大手企業や競合他社)に捕られてしまっているかもしれません。自分が相手に勝つためには、より源流・源泉に立ち、さらに水が流れる方向を決めるくらいの位置にいるべきですよね。

けれど、その源流に近づくことは創業間もない人間には難しいこと。そこで、さまざまな会(例えば商工会や青年会など)に所属し、仕事ではなく「人」を捕まえます。人との距離をぐっと縮め、その人の利益になることをお話できるような立ち位置で動いていくと、自然とその人の横、つまり川上に自分が立っているわけです。

はじめから自分の利益目的だけで動いていると、相手は「仕事を取りにきただけだな」と思うでしょう。自分自身が、相手の会社やその人の課題・利益・メリットを示すことができる存在になるにはどうしたらいいのか?

まずは、自分を磨き高める努力が必要です。自分を高め、自分よりも相手のメリットや利益、ダメなことをきちんと言えるような立場になっていくこと。人との距離を縮めていくための投資をしていかないと、中長期的な仕事は獲得できず継続しないのではないでしょうか。

また、企業規模の大小に関係なく、大手から「仕事をいただく」という感覚を持ってはいけないと私は感じています。大手の動きに個人事業主が追随する状況は危険ですし、薄利でしょう。

それよりは「自灯明(じとうみょう):自らをともしびとする・自らをよりどころとする」の精神で行動することが大切だと考えています。

「自分が明かりになるから、後ろからついてきて

個人事業主だとしても、長い目で見た場合、こうした精神で考えていくほうが最終的に生き残るのではないでしょうか。

子ども新聞からカルチャー教室〜現在は請負事業まで幅広く〜

設立時から続いている「子ども新聞」。当初、デザインは外注し、紙面作成や流通はすべて私一人でやっていました。作成すること自体は面白かったのですが、「出したらそれで終わり」ではもったいないな、とも思っていたんです。

子ども新聞のユーザー層の家庭状況を考えたとき、私の頭に「習い事」が思い浮かびました。毎月の月謝は家計のなかでも結構な支出であり、子ども時代は特に「親の経済力」に依存せざるを得ない状況。そこから、週単位、ワンコインで子どもの能力が開発されるような機会をつくるといいのでは、とひらめいて「カルチャー教室」をはじめました。

教室が増えて規模が拡大していくと共に、リアルなコンタクトの場(教室)や紙面(子ども新聞)があることから、協賛していただける企業(保険会社・住宅会社・車関係・学資保険など)が現れました。

結果的に全体的な収益がアップし、協賛がつけば先生の報酬にも反映して好循環に。教室の帰りに買い物をしていく方も多く、施設全体の収益アップにつながれば嬉しいですよね。現在、おかげさまでカルチャー教室の会員数は約2,600名まで増えました。

また請負事業として、婚活プロデュースなども手がけています。もともと子ども関連の事業展開でしたが、あるとき、県から少子化対策の一環で出逢い応援、結婚支援のお話をいただきました。現在は、出逢い・結婚・出産・育児・青少年育成にまで携わっている状況です。

ただ、守備範囲が広いようで実は1本。「ゆりかごから家族を持つまで」です。デルタスタジオのなかでひとつの大きな輪ができているんですね。出逢いがあって結婚した人に子どもが産まれ、カルチャー教室に参加。出会った人たちがそれぞれ紡ぐ、新たな人生の1ページに立ち会えるのは私にとっても大きな喜びです。

請負事業については設立当初はゼロでしたが、現在では全収益の半分~6割程度。スタートは県と業務委託契約、そして四日市市や周辺の自治体へ広がっていきました。皆さんにとってデルタスタジオは子ども関連のイメージが強いかもしれませんが、お取引がある民間企業の業種も多岐に渡ります。

これからの16年間で絶対やりたいこと

私は現在45歳、60歳まであと15年。実は私、50歳くらいまでに後継者をつくっていきたいと考えています。16年間の間に、私がやりたいこと・やれていないことを実現させるため、自分を会社から離していかねばと思っているのです。

私自身、生まれ育ちや起業の思いを大切にしています。「人のために頑張ろう」という気持ちが強く、「困っている人が、できるだけ困らずに生きていける環境をつくるためにできる事業」への思いが根底にあります。

私が「これは絶対やりたい!」と思っているのが、養護施設などさまざまな環境にいる子どもが社会的にいいスタートが切れるような、職業選択の支援事業のような取り組み。SOSを出せない人を見つけてあげて、SOSの内容に応じた支援ができるような事業です。

養護施設は18歳になると出ていくことになるのですが、その後うまく仕事に定着できない、働けないといったケースも少なくありません。近年では労働力人口の減少などが問題になっていますが、こうした青少年も大切な労働力であると同時に支援が必要です。

私が思うに、SNSなどでコミュニケーションをとり、リアルで人と会うことが少なくなっていけばいくほど、社会のなかで「SOSを出せる人」は少ないのではないでしょうか。むしろ圧倒的に多いと思います。

事業化していくジャンルは、必ずしも営利である必要はないと思っています。社会全体のIT化が進むほど、コミュニケーションの多様化によって人と顔を合わせる機会が減るほど、ソーシャルビジネスでなければ解決できない課題がたくさん出てくるはずです。私は、行政と連携して事業を掘り起こしていく「ソーシャルビジネス」に舵を切っています。

「すべての子どもたちが平等に夢を見られる」社会づくりを目指して

私は子どもの頃、それほど裕福ではありませんでしたので悔しい思いも多々ありました。ただ、私は人に恵まれて、自分を卑下することなく生きてこられたんです。でもそれは昭和時代の話。今の時代を生きる子どもには死活問題かもしれません。例えば家族構成や親の経済力、環境に子どものあり方が左右され、方向づけされてしまうこともあり得ます。

もしも、子どもたちを等しく能力開発していくことができるなら、これは夢のある取り組みなのではないでしょうか。

私はまずきちんと会社を維持させ、社員や関連する方々が物心共に幸せで、長く勤めたいと思っていただける状況を目指しています。その先は、私が起業したきっかけのひとつでもある「すべての子どもたちが平等に夢を見られるのかどうか」に視点を向けていける人・会社・経営者でいたいですね。

私が過去に金銭的な苦労をしたとき、まわりの人が私を押し上げて引っ張りあげてくれました。現在もお世話になった方々が地元にたくさんいらっしゃるので、期待に応えたいと思っています。

当時、まわりの人が離れていっていたら、こんな風に考えていなかったかもしれません。

やっぱり「人」が大切ですね。これからも、三重に住む人々・子どもたちが健やかで幸せに暮らせるような事業に注力していきたいと思います。

(取材・構成) 杉本友美 (ライティングファーム紡)
桑名市出身&在住。バックオフィスでの社会人経験ののち、産休・育休を経てライター業をスタート。
働き方関連や三重などを中心としたライティングに携わる。
HP:https://www.wf-t.jp/  Instagram:@writingfirm.tsumugi