「まさか自分が独立することになるなんて、思ってもいませんでした」
伊賀市出身であり、現在は東京でパーソナルスタイリストとして活躍するA-Personal Stylingの西畑敦子さん。約10年働いた外資系IT企業でのセールスエンジニア職から転身。ファッションレスキューでパーソナルスタイリストとして勤務ののち、2020年11月に独立されました。
そんな西畑さんに、これまでの歩みから「装い」への想い、今後の展望についてお伺いしました。
これまでのキャリアを振り返って…
―以前はパーソナルスタイリストとは全く異なる職業だったそうですね。
大学卒業後は外資系IT企業に就職して、10年間セールスエンジニアとして働いていました。大学は文系だったのですが、当時は超就職氷河期で。40社ほど応募した中で最初に内定をくださった会社に「何でも勉強しますからやらせてください!」という気持ちで飛び込みました。
入社後、まわりはIT大好きな人ばかり。人よりもコンピューターと向き合っている人が多かったんですね(笑)。アフターコロナの現在はメッセンジャーやオンラインも随分と浸透してきましたが、当時はまだまだ対面でのコミュニケーションが一般的。でも、社内では普段からメールやチャットがごく当たり前の職場でした。
―今では必要不可欠のITスキルが高い人がまわりにたくさんいらっしゃったんですね。
皆さん、ITに関する好奇心・興味・探求心を持ってらっしゃる人ばかり。さらにITの進化、技術革新のスピードも速いため、常に勉強し続けていました。皆さんITが大好きで本当に勉強熱心で、もちろん私も勉強しましたが、仕事として義務感でやっていた部分もあって。本当に好きな人との差、パフォーマンスの差は少なからず感じていました。
一方で、好きなことや興味を持っていることを仕事にできているのはいいなと感じ、それらを結果につなげる方法を教えていただくなど、強い憧れを持っていました。
あとは、そもそも何かができるからやるのではなく、仕事に対する価値観、仕事は結局はずっと学び続けることというのも職場で教えていただきました。
―10年間の学びののち、パーソナルスタイリストに出会って。
仕事ができて、バリバリ働いて、結果も出して…というのは私の「かっこいい社会人像」だったんですが、同じ社内の人と比較すると、そこまでパフォーマンスがいいというわけでなく。何となく、自分のキャリアの中で「イケてないな」と思ったんですね。
当時は子ども2人を育てつつ、保育園に預けながら働いているときでした。子どもと一緒にいたほうがいいかもしれない、それなのに今の状態で良いのかなと思うようになったんです。素敵になりたいと思ってインターネットでいろいろ探していたところ、のちの師匠となる政近準子氏に出会い、パーソナルスタイリングの存在を知りました。
当時から師匠は「装いはギフト」だとおっしゃっていて。素敵な人は、その人だけではなく、周りの価値まで上げる。例えば、その人が所属する会社にいい印象を持ったり。結局は自分も関わる人も皆が幸せになる、全部いいことしかないなと思ったんです。
―偶然の出会いがきっかけだったんですね!
それまで私が求めていた「素敵」っていうのは、自分の仕事を認めてほしい、自分をスタイルよく見せたい、とか承認欲求でしかなくて。だから私は「素敵」じゃなかったんだと気づきました。自分だけでなくまわりを含めた価値まで上げられるのが「素敵」なんだと。
そこで私は「これは絶対みんな知ったほうがいい!」と思ったんです。若い頃の自分と比べるのではなく、まわりの関係性や経験もプラスに積みあがっていくから、昔よりも今よりもこれからのほうが絶対良くなるイメージがしやすい。この先のほうがもっと自分を好きになれる、希望しかないと思いました。
パーソナルスタイリストに転身…、独立のきっかけは?
―そこでパーソナルスタイリストへ転身したんですね。
まずはパーソナルスタイリストを育成する学校に入って2か月間学びました。卒業後に師匠の会社(ファッションレスキュー)へ入社させていただき、8年間パーソナルスタイリストとして働きました。
師匠はパーソナルスタイリストの創始者です。アシスタントについたり、お客様を担当させていただいたり、会社に属するパーソナルスタイリストとして働いていました。私が、というより、ファッションレスキューのスタッフとして恥ずかしくないように、というのが私の行動指針だったんですね。
すごい方のそばにいる人間として、期待を裏切らないように「いつも背伸びしている自分」が等身大でした。その環境が私を成長させてくれたと思うし、貴重な経験になりました。
―その後フリーランスとして独立されますが、何かきっかけがあったんですか?
実はもともと辞める気はなかったんです。おかげさまで師匠の片腕と認めて下さる方もいるようになり。パーソナルスタイリングは素晴らしいと思っているので、会社を継げるようになりたいとも思っていました。
ですが、コロナ禍になり、ファッション自体も不要不急になって。これまでやってきたショッピング同行やご自宅訪問もできなくなり、仕事自体が難しくなってしまいました。
何か新しく手を打たないと立ち行かないほどの大きな変化の中で、会社に所属している限り新たなことをやってリスクが生じれば、会社が責任をとることになります。そこで、自分がリスクを負える状態でやるしかないと思い、独立したんです。
―フリーランス1周年のイベントを開催されたと伺いました。
2020年10月に会社を退職し、開業届を提出したのが11月。ホームページなどを開設して徐々に活動をはじめました。ショッピング同行の現場でお世話になり、馴染みになってくださっている販売員さんからお声がけ頂き、2021年11月に新宿高島屋さんに入ってる店舗で2日間のイベントを開催したんです。
周年の節目に感謝の気持ちを込めて、普段からご利用頂いているお客様を中心にお声がけしました。あらかじめお客様に似合いそうな商品をショップに取り寄せておいていただき、当日ご提案させていただくという形式。密にならないよう、事前予約制でお客様にお越しいただきました。
(取材・構成) 杉本友美(ライティングファーム紡)
桑名市出身&在住。バックオフィスでの社会人経験ののち、ライターに転身。
働き方関連や三重などを中心としたライティングに携わる。
HP:https://www.wf-t.jp/ Instagram:@writingfirm.tsumugi